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123便墜落事件:五つの疑惑(植草一秀の『知られざる真実』)

123便墜落事件:五つの疑惑(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ

123便墜落事件:五つの疑惑
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-0a61c0.html
2020年8月11日 植草一秀の『知られざる真実』

35年前の1985年8月12日、日航ジャンボ機123便が群馬県の高天原山(たかまがはらやま)の尾根に墜落した。

御巣鷹山ではなく高天原山だ。

ジャンボ機墜落は事故ではなく事件であると考えられる。

35年の年月が経過したが、事件を風化させてはならない。

事件の真相を明らかにするべきだ。

この事件には重大な疑惑が山積している。

五つの疑惑を提示しておく。

第一は救出されたJAL客室乗務員の落合由美さんの証言と事故調査報告書の内容がまったく異なっていること。

落合さんが墜落直後の状況に関して重要な証言を示した。

落合さんは墜落時の状況を次のように証言した。

「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」

しかし、公式の事故調査報告書は、

「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに近い状況であった」

としている。

墜落時の状況を証言し得るのは救出された4名以外にはいない。

そのうちの1名であるJAL客室乗務員の証言が完全に無視されている。

事故調は誰の証言を元に「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに近い状況であった」と記述したのか。

第二の疑惑は墜落直後に米軍機および自衛隊機が現場を確認していたにもかかわらず、現場での救助活動始動が翌日朝8時半になったこと。

123便が墜落したのは8月12日午後6時56分。

米軍機は墜落から20分後には現場に到着して墜落場所を確認している。

米軍機は午後9時ころまで現場で救援活動に着手しようとしたが基地からの命令があり帰還した。

しかし、午後9時20分頃に自衛隊機が現場に到着するのを確認してからの帰還だった。

自衛隊が直ちに救助活動を実施していれば多くの人命が救出されたと考えられる。

ところが、実際に自衛隊による救出活動が始動したのは翌13日の午前8時半だった。

第三の疑惑は、後に墜落の原因とされた123便の圧力隔壁が墜落現場で直ちに自衛隊によって裁断、破壊されたこと。

圧力隔壁の不具合が墜落の原因であるなら、圧力隔壁は最重要の事故原因究明の証拠資料である。

この最重要資料を現場で破壊した行為は、客観的に見れば証拠隠滅行為である。

第四の疑惑は事故機の垂直尾翼等の破片と見られる物体が海底で発見されたにもかかわらず、物体の引き揚げが行われていないこと。

2015年8月、静岡県東伊豆町の沖合2.5キロメートル、123便の推定飛行ルートの真下で123便の残骸と見られる物体が発見された。

物体を引き揚げて解析すれば、事故原因の究明に多大の貢献をする可能性がある。

ところが、日本政府は海底の物体を引き揚げようとしない。

引き揚げることに不都合があるのだと思われる。

第五の疑惑はボイスレコーダーの音声。

事故調の報告書には機長による「オールエンジン」という言葉が記されている。

しかし、この表記は機長が発した音声とは異なる。

機長が発した言葉は「オレンジエア」である。

フジテレビがこの問題を取り上げて特別番組を制作した。

2000年11月9日放送のフジテレビ番組「ザ・ノンフィクション『15年目の検証』」である。

番組は音声解析の専門家を起用し、「オールエンジン」の表記を「ボディギア」と推論した。

誰がどう聞いても「オレンジエア」としか聞き取れない音声に関する特別番組で「オレンジエア」の表現がただの一度も登場しない。

この事実が最大の疑惑だ。

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